2014年6月22日日曜日

チャン・ドンゴンと「泣く男」…そして大衆との距離

「なぜゴンがあのようにしたのか理解できますか?」

どこか不安だったようだ。チャン・ドンゴンは先にこちらに質問を投げかけて微笑んだ。自分の意図と大衆の視線が違うことを感じているようだった。そしてチャン・ドンゴンは、自身の役と表現の意図を細かく説明した。

「泣く男」でチャン・ドンゴンは、殺し屋のゴン役を務めた。子供の頃に捨てられた彼は、海外で殺し屋として育てられた。ある日ターゲットを殺害する時に誤って子供を殺害してしまう。その日の傷を抱えたゴンは最後のターゲットを殺害するために韓国に戻ってくる。しかし、最後のターゲットは誤って殺した子供の母親モギョン(キム・ミニ)だった。結局ゴンは命令に従わず、モギョンを助けるために組織に立ち向かう。

チャン・ドンゴンが不安に思っていった部分、つまり先ほど投げかけた質問のポイントは、ゴンはなぜモギョンを助けたのかということだ。表面的には子供を誤って殺したからだろう。だが、チャン・ドンゴンが話す正確な理由は、自分の過ちのためではなくモギョンの母性によるものだということだった。このように「泣く男」は大衆と乖離が生じたが、チャン・ドンゴンとのインタビューを通じて大衆との距離を少し縮めることができた。
―ゴンがモギョンを助ける理由が思ったより上手く表現できなかったようだ。

チャン・ドンゴン:実はその点が重要だった。映画を撮影しながらも重要だと意識した部分だ。シナリオや撮影したものが編集された時に少し違いが生じた。とにかく初めて映画を見る人には少し難しいかもしれないと思った。だけど、2回見ると大丈夫だった。子供を殺した罪悪感がその理由だと思う観客も多いが、それよりも直接な理由はモギョンを通じて自分が今まで信じなかった母性愛を発見したからだ。モギョン個人を助けたというより、自分の人生に対する反省の意味が明確に含まれている。それを表現しようと努めた。

―ゴンの感情を掴むことは簡単ではなかったと思うが、どうように理解したのか。

チャン・ドンゴン:モギョンを助ける目的ははっきりしている。自分の母親に対する許しと自己反省だ。最初ゴンは生に執着しない人だった。そう確信して、シナリオにない部分を満たした。まだ説明が足りないと感じられるかもしれないが、実質的なことはすべて表現した。

―映画の中でゴンの台詞は多くない。そんな中で感情を正確に伝えなければならなかった。

チャン・ドンゴン:感情や地の文で多くは表現されていなかった。監督も感情を先に決めるのではなく、撮影しながら決めていたし、俳優の意見も重要だと思っていたようだ。話し合う対象なしに伝えなければならなかった。そのようなことが撮影しながら生じた。またゴンは複雑な人のようだった。だから、性格が歪んでいる人のように演じた。

―韓国語の台詞より英語の台詞のほうが多かった。外国で育った殺し屋だったから。それだけではなく、格闘シーンも本当に多い。もっとも気を使った部分は?

チャン・ドンゴン:感情を表す部分が大変だった。もちろん英語での演技も難しい。タイ語など他の外国語で演じたことは何度もある。タイ語は堂々と思い通りに演じても雰囲気だけ演出すれば、上手く演じることができる(笑) だが、英語は他の国の言葉より一般的なので、そうはできない。だから、リアリティよりはキャラクターに合わせる範囲でトーンや感情を表現した。リアリティを求めたら、きりがないと思った。アクションの練習期間には結構余裕があった。撮影の時も余裕があった。「マイウェイ 12,000キロの真実」の時より肉体的には大変ではなかった。その代わりにゴンの感情を理解させるのが難しかった。母親に捨てられたという情報だけで、ゴンの人生を見せなければならなかった。だからといって自分の感情を話したり、表現したりするシーンはまったくなかった。このような理由で、最初シナリオを読んだ時とは違う部分に悩まされた。普段、映画を撮影する時、演じたシーンが積み重なるにつれ、次の演技が演じやすくなるのだが、今回の映画は反対にだんだん選択の幅が広くなった。

―「泣く男」のように韓国の作品で英語を使って演じることと、ハリウッド映画「決闘の大地で」のように外国の作品で英語で演じるのは何が違うのか。

チャン・ドンゴン:違いを考えて演じるほど英語が上手なわけではない。ただ、違う点は「決闘の大地で」は映画の時代背景上、東洋人が存在するのが稀な時代だ。そのような理由で外国の観客を主なターゲットにした映画にもかかわらず、その時代に使う英語を使わなかった。例えば、高麗時代に漂流した外国人が韓国語を話す設定と同じだ。映画に合わせて音を練習するレベルだった。流暢な英語を話せるかは問題ではなかった。もちろん韓国では英語をどれだけ話せるのかを判断するが、それとは違って今回は韓国の観客に違和感を与えないようにキャラクターに合わせてトーンと発音を練習した。

―このような質問をするのは申し訳ないが、この作品を選択したことでウォンビンと比較されるとは思わなかったのか。「ブラザーフッド」で兄弟として共演した縁もあるので。

チャン・ドンゴン:それほど心配しなかった(笑) シナリオを見ながら「アジョシ」と比較する人はそれほどいないだろうと思った。もちろん、同じ監督の映画で興行成績も良かったので、追い抜かなければならない壁であることは事実だ。だが、アクションコンセプトも違っていたので直接的に比較はできないだろう。それに後輩だったら意識したかもしれないが、(僕のが)年上だし、それほど意識しなかった。

―「紳士の品格」の時もそうだったが、上半身の露出が話題になった。

チャン・ドンゴン:とりあえず、一度上半身を露出してから始めるのが、最近のアクション映画のトレンドのようになった。最初の1~2ヶ月はスタイリッシュなアクションを練習した。「アジョシ」を通じて見せたものもあったし、イ・ジョンボム監督だから当然そのように考えていた。「僕もこのような作品に出演できたんだな」と思ったけど、「そうじゃないよ」と言われた。実はこの作品の出演を草稿の時に決めたが、それを完成させる段階で監督に「どんな映画なのか」と聞いたら、「アジョシ」より香港映画「いますぐ抱きしめたい」に近い映画を作りたいと話された。そして、アクション映画では悪党を主人公が痛快に倒す形式だがこの映画では悪党がそんなに悪い人ではない。自分の仲間であり、戦いの主体も自分自身との戦いのようだ。だから、スタイリッシュなものを止揚して撮影した。脱ぐシーンでもアクションを演じるために毎日4時間ずつ4ヶ月筋トレをしたけれど、身体が以前より良くなった。中盤に入って、一度見せたいという意欲も湧いて、後半では自分でも惚れる筋肉質のボディになった。でも「容疑者」に出演したコン・ユさんの圧倒的なビジュアルを見て、これは違うと思った(笑)

―草稿の段階で作品を選択したのは意外だ。何かピンと来たものがあったのか?

チャン・ドンゴン:というよりも、すべての男性俳優が一度はアクションノワールに挑戦したいと思っているはずだ。男たちが好むジャンル、個人的に1位のジャンルでもある。殺し屋、ノワールというものが韓国で説得力のある、現実的に描かれるのが難しい題材だ。そのような作品からオファーされても、完成できない映画も多かった。そのような理由で、イ・ジョンボムという名前は信頼できた。「アジョシ」以後、多くの男性がイ・ジョンボム監督の次回作を待ち続けていたと聞いた。草稿段階では余白が多かったが、残りの部分を十分に満たせると思った。

―先ほど、イ・ジョンボム監督と一緒に仕事をすることを望んでいる俳優も多いと言ったが、監督は自身に何と提案したのか。

チャン・ドンゴン:監督がこんな話をした。ゴンの決定的な出発点は、誤って子供を殺害したことであり、その感情を漠然ではなく、実際に分かることができる俳優、実際に子供がいる俳優だったら良いと話した。チャン・ドンゴンよりかっこよくアクション演技ができる俳優はいるかもしれないけれど、身体を上手く動かす俳優より長い人生を経験した俳優を望んでいると言われた。

―チャン・ドンゴンとイ・ジョンボム監督が一緒に作った映画ということだけで期待されている。これまで大型プロジェクト、グローバルプロジェクトに参加してきたが、常にそのようなプレッシャーと戦ってきたと思う。

チャン・ドンゴン:撮影当時はプレッシャーを感じない。そのような負担を感じていたなら、ここまで来られなかったと思う。だけど考えが変わったのは「危険な関係」の撮影が終わってからだ。その映画を選択した時は興行成績のことは考えていなかった。一つのジャンルでバイブルと言われるホ・ジノ監督が気になって、一緒に仕事したかった。それに、原作が名作といえる「危険な関係」をリメイクした映画で、ジョン・マルコヴィッチが演じた役だった。断る理由がない。ただ一つ気になることは興行成績だった。だから出演を決めたが、映画が公開される時は興行成績の観点で見る人が多く、高い興行成績を収めなければならない映画になった。もしかすると、俳優が興行成績から自由になるということは自己中心的な考え方かもしれない。そのような意図であれば、独立映画や低予算映画に出演するのが正しい。最近このような意味で興行成績に対する負担がある。でも商業映画を選択したから。それに大型プロジェクトにたくさん参加してきたのは、経済的な面で韓国映画市場が成長した時に活動をしていたからだと思う。

―今でも韓国と海外の合作映画など、休むことなく何か新しいものを探しているようだ。特別な理由はあるのか。

チャン・ドンゴン:新たなものを探すより、その時その時に選択した作品は、僕が惹かれた作品だった。その時を振り返ってみると、個人的な好感度が高かったと思う。またグローバルプロジェクトによく参加する俳優の中の一人だが、作業をする時は本当に楽しい。もちろん深さよりは普遍的なものを選択するしかない固有の限界がある。また韓国映画の現場よりもっと敏感になり、ストレスが溜まるのも事実だ。それでも、コミュニケーションができない人と作業するところから来る何かがある。最近、海外へバックパック旅行をしによく行っている。実際にバックパック旅行に行くと苦労する。その瞬間後悔することもあるけれど、帰ってきたらまた行きたくなるように、グローバルプロジェクトもそれと同じだ。

―ブラッド・ピットは俳優だけではなく制作にも携わっている。韓国で彼のようにできる人は誰がいるだろうと考えた時に思い浮かぶ俳優でもある。

チャン・ドンゴン:いつからか、そのことを考えるようになった。本当にやってみたい役があるのに物理的にできない時、能力があれば自分で作ってみたい。漠然とした憧れでもあるが、地道に準備はしている。演出とは映画の中の主な感情だけではなく、他のことにもっと気を配る必要がある職業だ。まだ演出という職業はまだ僕には難しい。人生の中での関心事が映画なので、アイデアや良い企画が思い浮かんだ時、「僕がこれを作ったらどうだろう」と自然に始まるようだ。今がそのような段階だ。

―大きな作品に出演していたので、作品の格差が大きい。毎回インタビューのたびに、多くの作品に出演したいと話した。

チャン・ドンゴン:多くの作品に出演したいと常に考えていた。それに対する後悔も反省もしている。できなくとも1年で1作品に出演しようと思っている。だからといって大きな作品を待っているわけではない。先ほど話したように、今は興行成績に対する負担があるから。そのような点で、自由になるとより色んなことができると思う。今は小規模の映画にも関心が多い。本質に戻れそうな気がする。もちろんオファーはない(笑)

―過去のチャン・ドンゴンは確かにそうだった。私の記憶では自分の演技の未熟さを感じ、韓国芸術総合学校に入学し、キム・ギドク監督を訪ねて「海岸線」に出演したこともある。

チャン・ドンゴン:その部分について反省している。今まで出演した映画の中で一番低予算の映画が「海岸線」だったし、その映画も自分から探した映画だった。昔のように積極的になる必要があると思う。イ・ジョンボム監督が現在、韓国芸術総合学校の映像学科の教授として在職しているので「学生たちが作る映画があれば紹介して欲しい」と話したことがあるが、それは違うと断られた(笑)


―最近SBS「ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~」に韓国芸術総合学校の同期であるイ・ソンギュンが出演して自身についてたくさん話していた。同じ時期に映画も公開された。

チャン・ドンゴン:映画を撮影しながら現場でイ・ソンギュンと話したこともあり、子供の話も自然にする。それにチャン・ジン監督とはよく会う仲だ。「ハイヒール」が生まれた時にも一緒にいた。2人でビールを飲みながら「このような映画はどうかな」と話してくれた。奇抜でチャン・ジン監督らしいと思ったので、素晴らしい映画になると話したが、同じ日に公開されるとは思わなかった。昨日も「運命のいたずらだな」と携帯メールをやり取りした。

―ドラマ「紳士の品格」の後、“イケメン中年”と呼ばれるようになった。

チャン・ドンゴン:面白い。それはただイメージだけで、絶対的な美の基準で判断したイケメン中年ではない。僕のイメージ、キーワードの一つとして考えるだけで、大きな意味はないと思う。でも気分は悪くない。

―結婚して長い時間が経ち、2児の父にもなった。それに安定感があるように見える。

チャン・ドンゴン:自然人として、安定感は確かに感じている。何かをセッティングしておいたような安定感だ(笑) 未来に対する不安感は誰にでもある。人としてやるべきことをしたという安定感だ。

―チャン・ドンゴンの育児はどうなのか。

チャン・ドンゴン:時間が問題だ。言い訳でもあるけれど、事実でもある。通勤する人ではないので、育児に対する作戦は集中と選択だ。一緒に遊ぶ時は1~2時間集中して一緒に時間を過ごす。撮影が終わって夜中に帰った時にリビングに置いてある子供のおもちゃを見るだけでも心がほのぼのとする。子育ては大変でもあるが、その過程で楽しさと幸せを感じている。

―最終的にどのような俳優になりたいのか。

チャン・ドンゴン:大きな目標を立て、カッコいい言葉を考えたこともあるが、基本的には同じだ。長い間、観客たちと呼吸できる俳優、常に期待させる俳優になりたい。言葉では簡単だが、そうなるのはとても難しい。

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