22日にカタール・ドーハで開かれた第38回世界遺産委員会(World Heritage Committee、6月15~25日)で決定した。
世界遺産委員会と国際記念物遺跡会議(ICOMOS、International Council on Monuments and Sites)は、南漢山城が17世紀初頭、非常時の臨時の都として日本と中国の山城建築技術を導入し、西洋式武器に対応するための様々な軍事防衛技術を総合的に集大成していることを高く評価した。
また、西暦7世紀~19世紀の築城技術の各時代における発達段階と武器の変遷がよくわかるとともに、現在も住民が暮らしており、生きた遺産としての価値があると評価した。世界遺産委員会は、南漢山城の周辺地域の開発を適切に統制し、遺産の管理に住民を効果的に参加させるよう勧告した。
南漢山城は1637年、清との戦争中に国王の仁祖が避難していた場所だ。築城された年代は、それよりもはるかにさかのぼる西暦1世紀頃だ。渓谷や盆地を抱く稜線に沿って積まれた。周囲11.76キロメートル、面積52万8千平方メートルに上る現在の規模と形は、1634年(仁祖2年)の大規模な補修によって形成された。当時、城郭や砦といった軍事施設を大幅に拡充し、非常時の王の臨時の居場所である行宮 73間廊を築いた。都を守る軍事施設であるとともに、役所、市場、居住地のある山城都市の機能を備えていた。
文化財庁は京幾道など地方自治体と連携し、「南漢山城」の体系的な保存・管理と活用に向けた総合計画を策定・履行する計画だ。今回の「南漢山城」の世界遺産登録決定により、韓国のユネスコ世界遺産は、石窟庵や仏国寺、宗廟(以上1995)、慶州歴史遺跡地区(2000)、済州島の火山島と溶岩洞窟群(2007)、朝鮮王陵(2009)など計11件となった。
コリアネット ウィ・テックァン記者、ソン・ジエ記者
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